Interview
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前編
和泉侃(Olfactive Studio Ne )
加藤駿介( NOTA&design )
選ぶのではなく、
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和泉侃さんが淡路島に構えたアトリエ「胚(はい)」には、静かな緊張感がただよう。その空間で生まれる香りの背景についてお話を伺った。 加藤駿介(以下、加藤):「胚」の空間、緊張感がありますよね。居心地がいいというより、ある種の秩序が保たれていて、自然と身が引き締まる感じがします。設計は柳原照弘さんですよね。 和泉侃(以下、和泉): そうなんです。この空間は、あらゆる情報をそぎ落として、香りに集中するための装置のようなものなんです。床も壁もすべて土で構成されていて、自然と意識が自分の内側に向かっていくような空間。無意識にペットボトルを置けなかったり、寝転べなかったり、そういう緊張感がある。意味のないものは置けないんですよね。所作まで整っていく感じがします。 この空間で素材を広げていくと、必要なものとそうでないものが自然に浮かび上がってくるんです。選んでいるっていうより残っていく感覚。香りって、足していくというより、余計なものを引いていくことで、輪郭が見えてくるような気がしています。 意味のあるものを作るときって、それだけの集中力が必要なんですよね。空間が持つ強度って、創作にものすごく影響を与えると思っています。空間に身を置いて、自分の内側に入っていく。そのためにはある程度、外との関係性を閉じていく必要があるんです。 |
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加藤:人との接触をできる限り減らして、自分だけの感覚と空間に没入するような状態ですね。 和泉:そうそう。香りって、人と話しながらとか、にぎやかな環境の中ではなかなかつくれないんです。自分自身の状態が整っていないと、何を感じているのか、何を伝えたいのかもぼやけてしまう。だからこそ、こういう空間が在ることは、自分にとってとても大切なことなんです。 制作の場所を淡路島に移したのは、もともと香りのリサーチでこの地を訪れていたのがきっかけでした。お香の生産地として知られる淡路島は、香木が日本に初めて流れ着いた場所とも言われていて、日本の香り文化のはじまりの地ともされています。そんな場所に自分の身を置いて香りに向き合うことに、自然と惹かれていきました。 それに、植物の多様性も魅力です。調べていくと、南限と北限の植物が交差する、日本の植生のちょうど境界に位置していて、日本中の植物が育つような土地なんですよね。実際、畑で育てた植物を使って香料をつくることもしていますし、そうした意味でもこの土地ほど、香りづくりに適した環境はそう多くないと思います。どこで過ごすかって、その人の血肉になると思っていて。制作って、自分が身を置く土地や空気に自然と影響されて、香りの輪郭をかたちづくっていくような気がしています。 |
感覚を置き換えること
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加藤:一緒に制作していて思うのは、和泉さんの香りって、その場や相手との距離感がすごく繊細なんですよね。定型の方法でやってる感じがまったくない。 和泉:香りの制作って、毎回ゼロからなんです。過去のレシピを使うこともないし、固定の「作風」みたいなものもあえて持たないようにしています。調香師によっては「自分らしさ」を出すために特定の香料を毎回入れることもあるけど、僕はそれをしない。毎回、その人や空間とまっさらな状態で向き合いたいんです。 まるで役者のように、その空間や対象になりきって考えます。人に限らず、ブランドや空間、時には建築家や従業員、あるいは訪れる人の視点になってみることもある。象徴的なものに出会ったときには、それがたとえカーペットであっても、自分がそれになったつもりで感覚を探るんです。その空間だったらどんなものを食べるのか、どんなリズムで時間が流れているのか、音、光、言葉、歴史……すべてを感覚的に取り込んでいきます。そうした感覚をどう香りに置き換えていくか、そのプロセスが、僕にとっての香りづくりの核かもしれません。 加藤:言葉にするのが難しい感覚を、香りでどう立ち上げていくか。すごく繊細な行為だし、直感的な判断が積み重なっていくようなところがあるよね。 和泉:多分、すごく共感覚的な作業なんだと思います。たとえば“静けさ”をどう香りで表現するかを考えたとき、音をそのまま再現するわけにはいかない。でも、呼吸が整うような香りなら、“無音の感覚”を提示できるかもしれない。香りって、実は感覚の総合体で、視覚や聴覚、温度や湿度を“置換”していくような作業だと思っています。 だから、素材を選ぶときも「これが好きだから」では選ばない。むしろ「何を入れないか」「何を削ぎ落とすか」が大事で、香りの中に一つでも嘘があると、それがすぐに浮き上がってしまう。そうならないように、すべての素材が理由を持って存在している状態を目指しています。 |
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ゼロに還る香りの設計
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生命の感覚を、香りでとらえる加藤:QUANTUMのコンセプトを最初に共有したとき、和泉さんがすぐに反応をくれたのが印象的でした。 和泉:僕にとって「ししゅう(死臭)」もひとつの探究として取り組んできました。香りを通して“生きている”という感覚をどう取り戻せるかを問い続けています。人間は動物と比べて嗅覚が退化したと言われていますが、だからこそ香りを使うことには意味があると感じていて…たとえば、自分が生きているっていう実感、例えば心臓が動いているとか、呼吸をしているとか、そういう身体的な感覚って、普段はなかなか意識しないものですよね。でも、病気になったり、事故に遭ったり、極限状態に近いときに「生きている」ことを実感するじゃないですか。そういう瞬間にこそ感覚が研ぎ澄まされる気がしていて。香りを通して、そうした“生”の感触と向き合えるような体験をつくれたらと思っているんです。 死を扱うというよりは、むしろ「いま、自分が生きている」ということを、どれだけ丁寧に意識できるか。その視点から香りを立ち上げることができたら、QUANTUMというプロジェクトの輪郭も見えてくるように感じて。そんなふうに考えていたとき、“ゼロ”というキーワードがすっと浮かびました。 加藤:NO.00の香りって、すごくフラットになるというか、すっと整うような感じがあるよね。 和泉:そうですね。人間ってほとんど水分でできているわけで、その水と空気との境界線みたいなものを、曖昧にできたら面白いんじゃないかと思ったんです。 先にも話したように、どの香料が合いそうかは考えず、まずはテーマとなる要素をできるだけフラットな状態で3つほどに絞り込んでいきます。今回のNO.00では、「みずみずしさ、生、祈り」という3つの要素が浮かびました。 その上で、ようやく素材に向き合います。ジュニパーベリーは、そのみずみずしさや清らかさを表現するために選びました。祈りという要素は、高野槙を少し加えるだけで、音が消えるような静けさが生まれる。エレミは香りの骨格として非常に相性がよかったし、生を感じる存在感がある。合成香料もあえていくつか使用していて、ジュニパーベリーの中にある不要な要素を削り、みずみずしさを際立たせるような調整をしています。 |
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香りとともに刻む時間と記憶加藤:香りって、すごくパワーがあると思うんです。乱暴にもなれば、寄り添うこともできる。その中で、今回のQUANTUMのように“弔う”とか“祈る”といった目に見えない行為を扱うなら、香りという要素はすごく大切だなと感じていて。言葉では表せないような感情に、香りがふっと寄り添ってくれるような感覚があるんですよね。 それに、人間の嗅覚ってどんどん退化してきてるとも言われる中で、香りって、思い出や記憶とすごく結びついている。たとえば、昔の人の家に行ったときに、その匂いで一気に記憶が蘇るようなことってあるじゃないですか。あの感覚って、本当に強い力を持ってると思っていて。そういう意味でも、このNo.00という香りが、今後人の記憶にどう刻まれていくのか、とても興味があります。 和泉:香りって、その人がどんな経験をしてきたかでまったく違った印象になるんですよね。たとえばラベンダーのように素材が明確なものは共通のイメージが持たれやすいけれど、No.00のように抽象度の高い香りは、成分が多くて構造も複雑だからこそ、感じ方にすごく個人差が出る。でも、そのぶん、記憶との結びつき方も深くなっていくんです。 今はまだQUANTUMが立ち上がって間もない状態ですが、もしかするとすでにこの香りで何か記憶がよみがえる人もいるかもしれません。「なんか懐かしい気がする」とか、「昔どこかで嗅いだような感じがする」と感じた人がいたとしても、それはその人自身の個人的な記憶であり、僕らにはそれをコントロールすることはできない。すごく個人差がある世界なんですよね。でも、今後この香りで“弔う”という行為が繰り返されていくなかで、その行為自体と香りが結びついていくはずです。 そしてきっとある日、別の場所でふと似た香りに出会ったときに、No.00とともに過ごした時間、自分自身と向き合っていた時間、あるいは故人を想っていた瞬間を思い出す人が出てくると思うんです。その記憶は人によってまったく異なるし、どんな感情が引き起こされるかは僕らにはコントロールできない。でも、そこが一番面白い部分でもある。 QUANTUMは、“弔う”という行為を続けていくブランド。その香りとセットで記憶が育っていく。だからこそ、No.00が時間とともに、誰かの中で意味を持つようになっていく瞬間を、僕自身もすごく楽しみにしています。 |
Profile
加藤駿介( NOTA&design代表 )
1984年、滋賀県信楽町生まれ。大学在学中にデザインを学ぶためロンドンへ留学。広告制作会社に勤務後、信楽へ戻り陶器のデザイン・制作に従事する。2017年に自社スタジオ「NOTA&design」、ギャラリー&ショップ「NOTA_SHOP」を設立。陶器制作、グラフィックデザイン、インテリア設計、ブランディング等を手掛ける。
和泉侃(アーティスト / Olfactive Studio Ne ディレクター )
香りを通して身体感覚を蘇生させることをテーマに活動するアーティスト。植物の生産・蒸留や原料の研究を行い、五感から吸収したインスピレーションのもとに創作活動に励む。作家活動と並行し、香りを設計するスタジオ「Olfactive Studio Ne」を発足。調香の領域にとらわれないディレクションで、チームと共に香りで表現される世界の可能性を広げている。